インタビュー
注目のSaaS企業のマーケ戦略を深掘りする連載企画「急成長SaaSのマーケ戦略 大解剖」。今回お話を伺うのは、クラウド型人事労務システム「ジンジャー」の企画・開発・運営を行うjinjer株式会社です。当初は人材事業を手がける株式会社ネオキャリアの一事業部として、2016年にサービスをローンチ。2021年にスピンアウトし、現在にいたります。
事業成長の過程で、どのようなマーケティング施策を打ってきたのか。ローンチから現在にいたるまでのターニングポイントを3つに分け、各時期における施策の背景や狙い、成果をマーケティング部シニアマネージャーの野村佳史さんに詳しくお聞きします。
ーーまず、事業内容について教えてください。
当社は、「人事労務を DX で、ラクにシンプルに」をスローガンに、人事労務の業務効率化を支援するクラウドサービス「ジンジャー」を提供しています。
特徴は、人事労務・勤怠管理・給与計算・経費精算・ワークフローなど、マルチプロダクトにより幅広いサービスラインナップを展開していること。全サービスのデータベースを連動させて一元管理でき、情報の登録や更新の手間を大幅に削減することが可能です。
この「ジンジャー」のサービスが立ち上がったのは2016年。人材事業大手の株式会社ネオキャリアの一事業部で、本格的に自社プロダクトの開発に着手したのが始まりでした。
ーーサービス立ち上げ時から既に、マーケティング体制は万全だったのでしょうか?
いえ、そもそも当初は社内にマーケティング組織がありませんでした。求人広告や人材紹介といったサービスを中心に急成長してきたネオキャリアでは、セールス力が強みとなっており、営業中心の組織体制だったのです。
しかし、当時はいわゆる「マーケットの潮目」で、営業手法がアウトバウンドのプッシュ型から、インバウンドのプル型へと移行しつつあった時期。ネオキャリアにおいても、自社プロダクトの拡販にはインバウンドの仕組みが必要だという認識のもと、マーケティング部を立ち上げました。
ただ、立ち上げ時のメンバーはわずか3名で、しかもマーケティングの経験があるのは1名のみ。右も左もわからないままスタートすることになりました。
ーーサービスの立ち上げ期が1つ目のターニングポイントだったということですが、具体的にはどのような戦略を取られたのですか?
サービス立ち上げ初期は、運用型広告や展示会出展など、比較検討層と接点が持てる施策を中心に開始しました。その中で、1つ大きなターニングポイントとなったのは、中長期施策であるオウンドメディアの運営に初期から注力していたことです。運用型広告や展示会出展、アウトバウンドコールだけだと、いずれ頭打ちになることを想定していました。そのため、頭打ちしたタイミングである程度の効果が出るように、初期からオウンドメディアの運営を行っていました。
サービスローンチ時から中長期施策に取り組めた背景として、経営層とうまく合意形成できたことが挙げられます。オウンドメディアという施策は、短期的に見るとROIが見合わないことが多く、特にサービス初期の段階では経営層に敬遠されがちです。そのため、何よりもまず経営層に施策の必要性を納得してもらう必要がありました。
マーケティング部のメンバーが意識していたのは、「掲げた目標を達成し続ける」という姿勢を見せること。立ち上げたばかりだからといって、業務を中途半端にしていては経営層を説得することはできません。積極的に高い目標を設定し、達成したことを報告する。たとえ達成できなかったとしても、要因を特定し、予定している改善策を細かく報告し続けました。
そのような姿勢もあってか、最終的には経営層もオウンドメディアにリソースを投下することを了承してくれました。目下の売上にはつながらなくても、いずれ大きな顧客チャネルに成長する。長い目で施策を捉えてくれたことで、マーケティング部として腰を据えてオウンドメディアの運営を行うことができたのです。
ーーオウンドメディアの成果を教えてください。
オウンドメディア「HR NOTE」で、人事に関わるコンテンツを発信し続けることで、開始してから2年ほど経ったタイミングで、低コストでオーガニックからのリード獲得数を大幅に増やすことができました。
しかし、全て順風満帆とはいきませんでした。オウンドメディアを軌道に乗せるには、更新頻度と記事の量が重要となりますが、そもそもコンテンツ作成のためのマンパワーが足りなかったのです。
コンテンツの方向性もなかなか定まりませんでした。PVを追うあまり、メディアの趣旨と関係が薄い記事が並び、CVにつながらない。SEOの観点でも、サービスサイトのターゲットキーワードとバッティングしてしまうなど、コンテンツマーケティングの難しさを実感しました。
ーーそれらの課題は、どのように解決したのですか?
コンテンツ作成については、新入社員をマーケティング部に配属してもらい、マンパワーを拡充しました。新入社員はまず営業等でサービス理解を深めることが一般的。営業色が非常に強いネオキャリアではなおさらです。会社としても大胆な決断だったと思いますが、私自身、新入社員としてマーケティング部に配属されてきた1人だったので、この施策は功を奏したといえるかもしれません(笑)。
そこから、オウンドメディアの指標をPVからCVに変更し、さらに「HR NOTE」をサービスサイトのドメインから外したことも大きな変化でした。結果的に、サービスに関連性が高い記事を多く作成し、サービスサイトとのキーワードとのバッティングを最小限に抑えることができました。
ーー第2のターニングポイントでは、潜在層にまでターゲットを広げてマーケティングを展開されていったのですね?
当時はオウンドメディアで比較検討層にリーチするために、キーワードを選定して記事を書いていました。しかし、比較検討のキーワードは多くあるわけではないので、限界が見え始めていたのです。そこで、より多くのリードを獲得する方針に切り替え、ターゲットを潜在層にまで広げました。それに応じて施策もマルチ化していく必要があると考えたという次第です。
特に力を入れて取り組んだのが、ebookとウェビナーです。ebookによって、サービスの資料請求や無料トライアルよりも前段階にCVポイントを置くことで、ターゲットの幅を増やすことに成功しました。これは、現在にいたるまで続けており、ebookの数は合計200冊を超えています。
また、折しもコロナ禍に突入し、オンライン上でのイベントが増える中、当社でも注力し始めたのがウェビナーです。特に、人事領域でサービスを展開する企業と共催したオンライン展示会は、大きな反響を呼びました。
当時、競合企業と共にイベントを開催することはあまりないケースだったように思います。しかし、コロナ禍により、オフラインの展示会開催が難しくなり、人事領域のサービスを検討している企業にとって、比較検討の場が減ってしまいました。
そのような企業のために、オンラインで展示会ができないか。そう考えた私は、競合企業に声をかけていきました。すると、賛同してくれる企業が多く集まったのです。どの企業にとっても、展示会はリード獲得のための重要なチャネルだったため、むしろ好意的に協力していただけました。
ーーただ、競合企業とのオンラインイベントの開催は、リードを競合企業に奪われるというリスクもあったのではないでしょうか?
確かに、そのリスクがないわけではありません。しかし、そもそもBtoBサービスの導入する前には、複数社を比較検討するのが自然だと考えています。そのため、通常の導入検討フローと合致しており、本質的にはデメリットは大きくないと考えています。
また、人事領域のサービスと一言にいっても範囲は広い。勤怠管理にフォーカスしたシステムもあれば、給与計算やタレントマネジメントに特化したものもあります。各カテゴリーに応じて潜在顧客が集まってくることが予測されたため、当社だけではリーチできないリードを獲得できるという期待もありましたね。
実際に、この共催ウェビナーは多くのご縁につながり、お客様からもご一緒した競合企業からも喜んでもらえました。
ーー施策をマルチ化していく中で、社内体制に変化があれば教えてください。
体制の変化としては、セールスとの連携が密になりました。実はサービスローンチ時には、マーケティングとセールスが話し合う機会はほぼなくて。マーケティングはリードを獲得してセールスにパスするのが仕事と考えていたので、お恥ずかしい話、パスした後にそのリードがどうなったかは把握していませんでした。分業体制を徹底していたといえば聞こえはいいですが、俯瞰的な視点を持てずにリード獲得だけに集中してしまっていたのです。
しかし、事業が拡大すればするほど、より戦略的に顧客を増やしていかなくてはなりません。今となってはなぜやっていなかったのかと思いますが、マーケティングとセールスの目標設定を連動させることから始めました。セールスの売上目標から必要商談数などを逆算し、マーケティングのリード獲得目標を設定します。その進捗を報告する場を設けることで、定期的なコミュニケーションが生まれ、膝を突き合わせて話し合う機会が増えましたね。
ーー第2のターニングポイントで課題に感じていたことはありますか?
人的リソースの不足です。「ジンジャー」の事業が拡大する中、マーケティングの組織規模はそれほど大きくなっていなかった上に、経験の浅い新入社員が中心のチームとなってしまったため、施策を実行し切ることが難しい状況にありました。
これには、ネオキャリア全体のマーケティング体制の変化も影響しています。当初、マーケティング部は「ジンジャー」事業の拡大という目的で立ち上がったのですが、だんだんコア事業である人材紹介などにもリソースを配分するようになっていったのです。会社としてマーケティング部が軌道に乗ったからこそ、リソースが分散してしまい、「ジンジャー」事業に十分にコミットできないという事態が生じていました。
2021年にスピンアウトしてからは、「ジンジャー」専門のマーケティング人員を確保できるようになりました。人的リソースが安定することで、多角的な施策を実行しやすくなりましたね。
ーー第3のターニングポイントでは、マーケティング施策の効率化に取り組んでいると伺いました。
それまでは、検討層であれ潜在層であれ、リードの獲得数を増やすことがマーケティングの至上命題でした。しかし、SaaS市場の先行きが不透明になる中、事業の生産性向上がより一層求められるようになり、マーケティング部としてもROIを強く意識する必要が出てきたのです。
そのため現在は、マーケティング施策の「ROIレポート」を作成しています。ROIレポートを作成したことで、マーケ部内でも、「その施策、リードは多く獲得できているけど、payback periodはどうなんだっけ?」と投資対効果を意識するようになりました。マネージャーだけではなく、現場の意識も変わったのは、非常によい効果でした。
ーーROIレポートは、マーケティング以外の部門でも活用されているのでしょうか。
経営層や事業責任者への報告に使用しています。マーケティングでは、注力指標や判断基準に無数の選択肢があります。そのため、社内全体で目線を擦り合わせておかなければ、マーケティングの独断で施策を進めてしまったり、逆に会社として投資すべき施策を見逃してしまうこともあり得ます。
ROIレポートのおかげで、経営層や事業責任者と同じ情報を見ながら、共に施策を判断できるようになりました。注力すべき指標と、良し悪しを判断する基準を社内で揃えられたことで、各施策に対してより適切なリソース配分が実現できています。
ーー3つのターニングポイントを振り返って、ブレイクスルーの共通点はありますか?
振り返ってみると、どのターニングポイントにも、「変化に対応する」という共通点があったのではないかと思います。事業フェーズの変化やコロナ、急速な組織成長、市場の変化など、状況は日々変わっています。
「これをやればいい!」というのではなく、その状況に合わせて最適解が変わるので、社内外問わず変化に敏感になり、変化に合わせて自分たちも変わっていくというのが大事なのではないかと思っています。
ーー今後の目標を教えてください。
現状の施策の強化の他、認知とナーチャリングに取り組み、顧客基盤の拡大に貢献したいと考えています。
マルチなマーケティング施策によって、「ジンジャー」というサービスの認知度は着実に高まっています。ただ、もう一段階仕掛ける余地があるのではないかと考え、広報室と連携しながら認知の拡大を図る予定です。
また、サービスローンチから約7年が経ち、顧客リストが充実してきた一方で、現段階では最大限に有効活用できていません。マーケティングとしてリードのナーチャリングにコミットできるような施策を打ち出したいですね。
ーーありがとうございました!
jinjer株式会社
事業内容:クラウド型人事労務システム「ジンジャー(jinjer)」の企画・開発・運営
本社所在地:東京都新宿区西新宿 6-11-3 WeWork Dタワー西新宿
設立年:2021年10月
代表取締役社長:桑内 孝志
従業員数:486名(2023年5月現在)
https://jinjer.co.jp/
【取材・執筆:山田奈緒美、編集:BeMARKE編集部】